今日は、この、きれいな本を持って家を出る。いい本になってるなあ。
扉野くんの文章を読んでいたら、いろいろ思い出す。会って話すと何かしらのシゲキを受けるのだ。
ぼくなんか冗談ばかり言ってるが彼はちがう。
話は、あるときは、辻潤であったり、永田助太郎だったりした。そこでぼくは興味をもって、本を探し回ることになるのだ。中也の『山羊の歌』などは探せるものではないけど、ほかのは、何とか探し出し、買い求めることになる。中野重治の『空想家とシナリオ』は、『黄色い本』と似てますね、などと言われ、驚いたこともあった。あわてて、読み返したものだ。
そういうことになるのは、「吉仲太造展」が最初だった。
まだ知り合って間もない頃、「吉仲太造展よかったですよ」というではないか。
吉仲太造は知らなかったが、扉野くんの話を聞いていると、これは見に行きたい、と強く思ったのだ。
それで見にいくと、扉野くんの言った通り、いいものだった。いいと思った。
今日、『ボマルツォのどんぐり』を読了したが、ずっと扉野くんの声が聞こえていた。
澁澤龍彦の『滞欧日記』を文庫で読みたくなった。